見えそうで見えないこと

 ことしは大阪や北海道胆振地震、西日本での豪雨など、大型災害が頻発した1年だった。
 新たな災害が発生するたび、メディアの報道はもちろんのこと、SNS上でのやりとりも過熱。しかし、時が経つにつれてその発信も少なくなり、次の話題へと関心が移っていく。絶えず記憶が上書きされていく中、取り残されていく人、コトも多いのではないか。

 先日、ドライブで茨城を訪れた。車を走らせ、県南西部の常総市で鬼怒川を渡る。遠く視線の先には、筑波山が泰然と控えている。

 渇水期を迎え、細くなった川筋の向こうに真新しい堤防が見えた。ふと、3年前にテレビで見た映像がよみがえった。

 2015年9月の関東・東北豪雨。ここ常総市では、鬼怒川の堤防が決壊し、市内の広範囲が浸水した。死者2人、浸水家屋は3000戸以上。多くの住民が避難生活を余儀なくされた。

 発生から3年。決壊箇所の堤防復旧工事は16年7月に完了した。堤防上を散歩やジョギングの人々が行き交い、町は平静を取り戻しているように見えた。

 車を降り、決壊箇所まで歩いてみることにした。黒々としたアスファルト舗装の道を進むと、程なくして新築住宅が立ち並ぶ一角が見えてきた。

 そばを通る県道沿いに点々と空き地が残る。3年前、ここから濁流が町へと流れ込んだ。

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決壊個所の現況

 外面だけ見ると、生活再建は着実に進んでいるように見える。しかし水害の後、常総市の人口は1000人以上減少。商業施設の撤退もあり、地元経済も停滞気味だという。確かに周辺で大手チェーンを含め、シャッターを閉じたままの店が多く見受けられた。
 情報量が多いゆえ、見えてこないこともある。「あの後どうなったのだろう」という疑問を少しでも抱いたら、ネットで検索するのもいい。生活、経済はもちろんのこと、人々の心まで、災害からの復旧には長い時間を必要とする。偶然訪れた常総市で改めて実感した。